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[社名と企業戦略]の記事一覧
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記事一覧 (04/17)フルキャストテクノロジー(2458・JQ)
記事一覧 (01/31)マーベラスエンターテイメント(7844・東マ)
記事一覧 (12/05)ノア(3383・名セ)
記事一覧 (11/11)サンコーテクノ(3435・JQ)
2006年04月17日

フルキャストテクノロジー(2458・JQ)

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エンジニア派遣に特化
「テクノロジー」でグループの他企業と住み分け明確化


 フルキャストグループというとまず思い浮かぶのは、総合人材アウトソーシング事業と仙台宮城スタジアム。グループ各社の事業別では、フルキャストのスポット人材アウトソーシングをはじめ、自動車製造を含む工場製造ラインアウトソーシング、オフィス系人材アウトソーシング、アミューズ系や情報処理、他にクレジット事業研など、分野ごとに細分化し、需要にきめ細かく対応している。

 そのなかで、フルキャストテクノロジーは、自社正社員のエンジニアを教育研修後、各メーカーなどの設計・開発部署へ向け派遣する事業を行なっている。最大の特徴は、@自社の正社員として採用すること、A派遣先は製造業の設計・開発部門に特化していること、の2点である。
 前身は1989年に設立した家庭教師派遣サービス事業の『株式会社神奈川進学研究会』。1998年に『フルキャストウィズ』に商号変更するとともに、現在の技術者派遣事業を始めた。2002年10月に社内公募で、現在の社名『フルキャストテクノロジー』に社名変更した。
 貝塚志朗社長は「当時すでにフルキャストが上場しており、軽作業、短期派遣というイメージがあったので、技術色のある社名にしたかった」と説明する。

 現在、技術者派遣の需要は拡大している。新製品の開発サイクルが短かくなり、メーカー間の競争が激化するとともに、製品は高機能化、複雑化。メーカーの自社技術者だけでまかなうには追いつかない状況だ。とくに半導体、電気、電子、機械、情報、化学といったハード系の開発技術者は、IT(ソフト)系の技術者よりさらに不足している。
 人材派遣・請負市場の規模は2005年度で4兆円、2010年度には8兆円規模と予測されている。そのうち技術者市場は、同社を含めた上場各社で1000億円規模、非上場を加えると5000〜6000億円規模と見られている。
 この事業は、技術者の人数と、派遣単価で収益が決まる。つまり、採用戦略と技術力強化で収益が決まるということだ。
 同社は当社独自のG.E.T.(Global Eengineer Training/設計・開発スペシャリスト養成)プログラムという研修体制を充実させており、常に技術力の強化に努めている。採用者数も今年度だけで300人規模と業界でもトップクラスだ。
 また、国内での少子高齢化に備え、2003年から海外での採用を業界でいち早くスタートし、すでに約130人が配属された。そのため海外採用で外国人を対象に、優秀な理工系学生を採用して技術研修と日本語トレーニングを行ない、日本国内の企業に派遣している。米国、中国(2ヵ所)、ベトナム、オーストラリアに採用・研修拠点があるが、今年春、さらにフィリピン、インドネシアと2ヵ所増え、計7カ国、国内を含み9ヶ所となる。
提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 14:22 | 社名と企業戦略
2006年01月31日

マーベラスエンターテイメント(7844・東マ)

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新しいエンターテイメントソフトの創造を

 最初に「MMV」のロゴができた。なぜMMVなのか、社内の誰がつくったのか、わからないという。その意味づけをしようと辞書を引き、「マーベラス」という形容詞に行き着いた。驚くべき、不思議な、奇跡的な、素晴らしい、最高の、という意味の単語だ。
 もうひとつのMはミュージックとかメディア。Vはバイブレーション。新しい、素晴らしいソフトを創り、メディアや業界を揺るがすような存在になろうという意味が込められている。
 中山晴喜社長は言う。「社名にこだわりはなかった。ただ、エンターテイメントは社名につけようと思っていた」。軽いノリでつけちゃったんだ、と聞こえなくもない。が、実際は違う。企業は名前ではなく、「何をやるか」が重要だという信念からだろう。
 1997年に設立した。
 音楽と映像とゲーム。この3つを融合させた、新しいエンターテイメントソフトの創造を目指した。
 起業から最初の2〜3年は、とにかく転ばないように慎重にやっていた。打って出たのは4年目。業績が安定して、ちょっとやそっとではつぶれない、と自信が持てた時だ。
 テレビアニメの取り扱い、ゲームソフト事業、ゲームセンター事業への参入など、次々に業務を拡大し、結果、4年目の売上高は一気に前年の3倍になった。2003年にはビクターインタラクティブソフトウエアを買収した。現在、同社はグループ年商100億円のうち約40億円を稼ぎ出す。決断はすべて成功だった。
 2002年にジャスダックへ、2005年には東証2部へ上場した。
 今後も、各セグメントで増収増益を図る。音楽映像事業では、メディアの多様化へいち早く対応するとともに、実写映画などの非アニメ作品を強化し、コンテンツを拡充していく。ゲーム事業では、ゲーム機メーカーの次世代機発売へ対応したソフトを開発、発売。2004年に設立した英国子会社を通じて、海外への販売も強化していく。アミューズメント事業は来期、三店舗の出店を計画している。
 最後に中山社長は言った。「事業を選ぶ時の基準は、儲かるか、会社が大きくなるか、ではなく、当社がやるべきか、おもしろいか、が基準。だから、いくら儲かるといわれても、金融やパチスロ、アダルトには参入しない」。マネーゲームに狂奔する経営者とは違うらしい。
提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 13:30 | 社名と企業戦略
2005年12月05日

ノア(3383・名セ)

noa.tabira.gif独自の事業モデルで「ビジネス創世記」

 ノア(3383・名セ)の社名は、旧約聖書の「創世記」に出てくる「ノアの方舟」から来ている。
 田平博志社長は「起業する時、『ビジネスで新しい世界を創造する』を理念に、半導体業界の中で類を見ないビジネスモデルを作ろうと思った」と言う。
 ロゴのデザインは船と舵をイメージしている。また、同社では社員を「クルー」と呼ぶ。船乗りのように、社員それぞれが役割を持って、ひとつの船で航海しているイメージだ。
 同社が扱っているのは半導体の製造設備や検査装置。事業セグメントは、新製品の販売、中古装置の売買、技術サポート事業の3本柱だ。
 新製品は、日本、アメリカ、イスラエルなどの、さまざまなメーカーの製品の代理店として輸入や販売を行なっている。
 その一方で中古装置を扱うのは、ふたつ理由がある。ひとつは、景気後退時でも取引先ユーザーにとって、必要な装置を安価に導入できるから。もうひとつは、逆に急激な増産が必要となった時には、新製品では間に合わない場合があり、そうした際には、中古装置を導入するほうが早いからだ。同社が他社と違う点は、市場から仕入れた中古装置をそのまま取引先へ流すだけではなく、カスタマイズやメンテナンスをして納入する点である。
 技術サポート事業は、設備導入から改造、メンテナンス、修理までさまざまなニーズに対応できる。サービス事業は製品販売ほど好不況の波に翻弄されにくく、一定の需要が必ずあるため、堅い収益が見込める。
 近年は家電、パソコン、AVなど、製品の流行りすたりの周期は速く、そこに採用される半導体の周期も短い。いわゆる「シリコンサイクル」は従来、4年といわれたが、今では2年で陳腐化する。さらに、好不況の波が激しく、設備投資のリスクヘッジが必要とされている。
 こうしたニーズに応える仕事ができないか、と田平社長が考えた末に誕生したのが、新製品・中古装置・技術サポートの3本柱という、独自のビジネスモデルだった。
 田平社長は芝浦工業大学を卒業後、一貫して半導体業界を歩み、メーカーや商社などで、製品知識、人脈づくり、海外メーカーとの交渉といった、さまざまな経験を積んだ。そうした中で、「ユーザーの多種多様なニーズへ、フレキシブルかつスピーディに応えたい。そのためには特定の会社の下にいてはできない」と考え、周りからの勧めもあって独立した。
 会社設立は2001年2月。5人で立ち上げた会社だった。今年9月に株式上場を果たし、現在、社員は66人となった。
 しかし田平社長は満足しているわけではない。「上場までは第一創世期であり、今までは、船をつくる段階、つまり、会社の基礎をつくる段階だった。これから本当の意味での他に類を見ない新しいビジネスモデルを創造するために大海原へ船出する。なるべく早くさらに上のステージも目指す」
 さらなる発展のため、いま新しいビジネスモデルを展開し始めている。海外戦略と既存事業とハイレベル技術者集団を融合した事業だ。
 海外事業は、これまで構築してきたビジネスモデルを、各地域のパートナーと組んで、アメリカ、台湾、中国、シンガポール、韓国でも展開していく。既存事業とハイレベル技術者集団を融合した事業は、古いラインのサポートや装置の改造・修理など多様化する客先(市場)のニーズに応えるための新規事業を早急に展開していきたいと考えている。
提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 13:47 | 社名と企業戦略
2005年11月11日

サンコーテクノ(3435・JQ)

sanko,horage.gif サンコーテクノ(3435・JAQ)は1964年、洞下実(ほらげ・みのる)社長が23歳の時に専門商社・三幸商事として創立し、96年に現在の社名へ変更した。
 当初は建設用の特殊工具(鋲打ち銃)を建築現場に卸していた。当時の鋲打ち銃は火薬を使うため、事故も多かった。そこで「熟練工でなくても安全に施工できる物がないか」という現場ニーズを受け、洞下社長が開発したのが「オールアンカー」。芯棒を打ち込むだけの安全かつ簡単な施工で、しっかりと取り付けできる。
 高度成長期で建設ラッシュだった時代のニーズに受け入れられ、同社の製品は飛躍的に伸びた。さらに、現場の要求を受け、改良版の新製品や、ドリル、建材用留め具など、さまざまな製品群が数多く生まれた。最初は1点だけだった製品が、創業から40年を経た現在では2万点に達し、オールアンカーは現在の建築現場では主流となっている。同社はこの分野ではトップシェアを誇る。
 洞下社長は「当社製品のほとんどがオリジナル製品であり、『心』が入っている」と強調する。心とは、「お客様のニーズ」であり、同時に、それを真摯に受け止めて技術開発し、心を込めて生産しているという意味だ。「ニーズをもとに製品開発するため、売れない物をつくってしまったことはない。これはわが社の自慢のひとつ」と胸を張る。
 1996年、「サンコーテクノ」に社名変更した。理由はふたつあった。
 ひとつは、バブルがはじけて事業環境が厳しくなり、経営の合理化が必要だったこと。三幸商事と、製造部門の三幸工業を統合した。もうひとつは、株式の公開を決意したためだ。
 それから9年後の今年6月に上場を果たした。以降、IR活動を本格化させ、今期の経営方針のひとつに「コーポレート・ブランド経営の研磨」を掲げている。
 今後の中長期展望は3点。
 第一に、本業を大事にしていくこと。建築市場は成熟市場であり、大きな成長性は望めないものの、本業を柱に、裾野を広くしていく。第二に、海外市場の開拓。タイには18年前から進出しており、その生産拠点を活用して、経済成長の著しい東南アジア市場を拡充していく。第三は、M&Aを積極的に行なうとともに、新事業拡大にチャレンジしていく。老朽化建物の耐震化施工、断熱防水工法などだ。
 ゆるぎない技術と信頼をもとに、さらなる発展を目指している。
提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 14:16 | 社名と企業戦略