IMV(7760・ジャスダック)
【小嶋成夫代表取締役会長兼社長】

同社は振動による試験装置の世界的メーカー。年間売上57億円、経常利益7億円(ともに06年9月期予想)。
小さい頃から、商売が身近な存在だったそうですが。「実家が、商店街で家具屋を営んでいましたので商売を見て大きくなりました。就職は、家から社屋が見えていた早川電気工業(現在のシャープ)に迷うことなく決めました」。出会いを大切にした自然流の生き方とお見受けした。
この早川電気工業との出会いが、後(のち)の人生に大きく作用したそうですね。「最初は、営業の外回りの仕事でしたが、そのときに、仲間との付き合いを大切にしながら、就寝前に2、3時間勉強を続けて、公認会計士の資格を取得しました」。
資格取得後は本社勤務となって、運命の出会いがあったということですが。「本社では、販売企画部の計画課長に20歳代の若さで抜擢され、同時に研修業務も兼務することになりました。研修には、技術開発では時代の最先端を行くパイオニア的な存在の早川徳次会長がお見えになり、訓示の前に、短い時間でしたが、直接、お話を聞く貴重な機会を度々得られたことが、わたしの貴重な財産となっています」。
どのような、お話でしたか。「人に真似されるものを作りなさい、ということでした。アキレスと亀のように、ライバルに真似をされたら、さらに、それを超えるものをつくればよいと、熱っぽく説いていただいたことを強く覚えています。このほか、技術先行型の魂、優秀な人材の蓄積、資本の力、信用力の大切さなども教えていただき、こうした教えが私のDNAレベルでしみ込んでいるように思います」。
早川会長は、技術だけでなく、商売にも鋭い見方をされていたようですね。「印象に残っていることに、大金持ちになりたいのなら、自分のイメージできない金額を考えてはダメだ。自分がイメージしている金額を、半分ずつにして考えなさいという教えがありました。大きな金額を目標数字として設定する場合、まず、その数字が身近な数字として感じることができるまで、半分ずつに落とし込んで行き、そのうえで、身近となった数字に対し5年で倍々としていって元の目標金額にするというやり方です。こうした、早川徳次会長との出会いが、わたしの幼少期からの思いであった"独立"を意識し始めるきっかけになったと思います」。
そして、昭和44年に公認会計士事務所を起こして、念願の独立ですね。「昨日まで一課長に過ぎなかった私を、シャープの経営顧問に任命していただいた厚遇には今でもありがたいと感謝しています。独立早々、役に立ったのが、シャープで社内研修の講師をしていた経験です。経営コンサルタントとして、セミナーの講演でずいぶん役立ちました。セミナーの内容は勇気づけることを中心に、具体的な提案を心がけてきたことが評価されたと思います。そうこうしているうちに、大阪地裁から調査委員に任命されました」。
それが、IMVの旧社名時代に会社更生法を申請した国際機械振動研究所の調査依頼だったわけですね。すごい、出会いですね。「当時、当社は石油ショックの痛手をもろに受け経営危機に見舞われていました。工場の前で、自動車産業の発展に貢献してきたこの会社を潰すことはできない、なんとか立ち直らせなくてはいけないという強い思いを持ちました。裁判所へ、やり方によってはなんとかなる、という報告書を提出し、裁判所から返ってきた内容が、"更生管財人の引き受け依頼"でした。当時、30歳代半ばでしたが、人生をかけて大役を引き受け、この会社を必ず更生させるのだ、と自分に誓いました」
「しかし、実際は、厳しいことの連続で、融資ひとつとっても、銀行からやっとの思いで理解を得ても、次は個人保証の問題など想像していた以上でした。そんな時期に、会社とともに歩んでくれた社員の存在はかけがえのない財産でした。住宅ローンは組めない、賞与もないなかで、会社を信じ経営者を信じて、"自分の人生は会長に賭けます"といってついて来てくれた社員たちのおかげで今の会社があります。わたしの経営目標の一つは従業員をハッピーにすることです。仮に、不況となっても一律何割カットというリストラはやらないと10年以上も前から言い続けてきました。いつリストラされるか分からない気持ちで、びくびくおびえながら仕事をしなくてはいけないような環境はつくりたくなかったのです」。
出会いを大切にした、"Yes We can"経営で邁進
念願の株式上場を05年7月に果たされましたね。次の目標はいかがですか。「もっと大きな舞台で活躍したいですね。新規事業をどんどん展開していきたいと思っています。会社発展のために、社員が全員でアイディアを出し合える活気ある空気を大事にしています。また、技術はお客様が磨いて下さいますので、クライアントからどのような厳しい注文が出されても、"Yes We Can"と言って、笑って帰って来いと社員に言っています。いろいろ新規事業のタネも育っています。これからを楽しみにして下さい。」
日本にモノ作り回帰が鮮明となっていますので、御社の事業にはフォローの風が吹いているのではないですか。「その通りです。自動車業界ではガソリン車からハイブリット車などへ技術の転換期を迎え、振動に対する耐久性と密接に関連しています。世界の厳しい競争のなかで勝ち抜いてきた日本自動車産業とともに歩んできたわが社は、"Yes We Can"の精神でこれからも突き進んでいきます」。
締めくくりに、お好きな言葉をぜひお願いします。「高杉晋作の、『面白き こともなき世を 面白く 棲みなすものは 心なりけり』が好きですね。とくに、やってみたいことは、社員から危ないからだめだといわれているバイクに挑戦です(笑い)」。社長室の飾り棚には所せましと並べられているカメラの数々、こちらの趣味も半端ではないようだ。