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2007年05月23日

株式会社インテリックス代表取締役社長 山本卓也氏に聞く

株式会社インテリックス (8940・JQ)
代表取締役社長 山本 卓也氏


持ち前の物理系思考を不動産に導入
マンションの再生販売で飛躍


代表取締役社長 山本卓也氏 −−早速ですが社長の少年時代を教えてください。
「そうですね、3月の早生まれだったことが意識の中に残っていますね。とくに、小学生の頃は勉強、運動などいろいろなことで、同級生に比べ、遅れていたという思いが強かったですね。成績もよくなくて、授業参観日には、親に来てもらったことがありませんでした(笑)。成績がよかった姉のほうにばかり出るので、ちょっと悔しかったです。でも、親が、『早生まれの子が平均学力に追いつくには中学2年生頃までかかる』と言ってくれたことは覚えていますし、心の支えとなりました。実際、中学2年には、成績はクラスで上位になりました。とくに、物理や化学といった科目には非常に興味があって、小学校5、6年生の頃にはアインシュタインの相対性理論や核分裂反応といった書籍を読みあさって、ある程度理解はできていました」

 −−すごいですね。お父さまの影響があったのですか。
「父の影響といえば、満鉄に勤務していた父の理論的な考え方を受け継いだのではないかと思います。すばらしい父です。物理系が好きだったのと、『手に職をつけなさい』というのが両親の言葉でしたから、自分では、工業高校へ進むのがいちばんと決めていました。しかし、親友からの、「これからの時代は大学に行かないとダメだよ」との言葉がパンチとなり、急遽、受験先を都立高校へ変更し普通科へ進みました。父も大変に喜んで、哲学書100巻をプレゼントしてくれました。相当の量でしたが読破しました。そこで出会ったのが、デカルトの演繹法です。それ以後、私の物の考え方に大きく影響を与えていると思います」

「生徒会」時代からの出会い、奥さんとの二人三脚人生

 −−そして、高校時代に、奥さまとのすばらしい出会いがあったとお聞きしていますが。
「(ちょっと、はにかまれて)入学してすぐ、クラスメイトの女子から、『生徒会の役員に立候補しないか』と誘われましてね…。学校のことが、まだ十分分からない一年生が生徒会に立候補するなんて、とんでもないと思いましたが、誰も立候補者がいないというので、それなら一年生なりに、精一杯がんばってみようと立候補しました。結果は、声をかけてくれた女子生徒が書記に、私が副会長に当選しました。しかし、会長が不在だったため、実質は会長のような役割を果たすことになりました。ところが、私は、血液型がA型のうえに、理数系という、典型的な思考先行型人間で、行動は後からというタイプなものですから、それを支えてくれたのが書記だった彼女です。のちに、私の奥さんになってくれたのですから、縁は不思議ですね(笑)」

 −−デスクの上の写真がそうでしょうか。ちょっと、拝見させてください。美しくて、素敵な奥様ですね。(横から、編集長が、社長さんが、最初の出会いから、ぞっこんだったのでしょうね)
「そう、書いておいてください(笑)」

 −−おいくつで、結婚なさったのですか。
「私が20歳のときです」

 −−物理系のお好きな社長さまが、どのように不動産のお仕事と出会われたのか、たいへん興味があります。ぜひ、そのあたりのところをお願いします。
「普通科に進学し、宇宙物理学を学びたいという気持ちが強くなり、大学は千葉大学を受けました。しかし、失敗して浪人、挫折も味わいました。すでに結婚という決意を固めていましたので、勉強はしたかったのですが、生活をしていかなくてはならないという思いで、ある不動産会社の求人広告を見つけ面接に行き、そこへ入社することに決めました」

 −−そうでしたか。たいへんではありませんでしたか。
「生活は大変でしたね。当時の私の初任給は月給3万円。一方、家賃は通勤に便利の良い場所を選んだこともあって、月2万円もしましたから、本当に厳しいスタートでした。しかし、一回限りの人生、とにかく仕事に燃えましたね。営業は出来高制だったので、大きな不動産の取引契約に成功したときには月給100万円程度のときもありました。24歳の時に日頃、苦労をかけた妻と、半月ほど休みをもらって、ヨーロッパ一周の旅行を楽しむ余裕も持てるようになり、28歳の時には年収が1000万円程度まで稼げるようになりました」

 −−当然、独立を意識されたのでしょうね。
「そうです、32歳の時に会社を設立しました。最初は仲介手数料のフィービジネス中心でしたが、まもなくバブルが始まり、銀行から資金提供を受け、マンションの分譲まで手がける規模になったのですが、バブルの崩壊です。売れるものはとにかく売りさばいて乗り切ろうとしましたが、工事が進行中であったマンションだけは仕掛かりとして残ってしまい、3億7000万円もの負債を背負うことになってしまいました。当時の規模としては、非常につらい額でした。バブル最盛期の時は、「あと5年早く生まれていればよかった」と思い、この時は「あと5年遅く生まれていれば、バブルも終わっていた頃にビジネスをはじめていただろうに」と悔やんだものですが、今では『本当にバブルを経験できて運が良かった』と思っています。命取りになるような負債を背負わず、よい経験をしました。その後現在まで一回も赤字を出すことなく堅実に経営ができているのも、この時の経験があったからだと思っています」

急拡大するマンションストック
欧米型の中古市場背景に売上1000億円、東証1部が目標


 −−そして、セカンダリー(中古)マンションを取得し、リノヴェイト(再生)したあと、アフターサービス保証をつけて販売する事業を展開されたのですね。
「そうです。築後、15〜20年を経過した物件が市場に増え始めたことに目をつけました。とくに、中古マンション取引に関して、売り手と買い手の間で、給排水管や設備機器の不具合などのトラブルが発生し、問題化し始めていました。そこで、私は、中古物件を買い取り、内装を施し、販売を行うビジネスモデルを見出しました。そして、事業規模の拡大に対応するために取り組んだのが、ビジネスモデルをベースとしたシステムの開発です。私自身が3カ月間で作り上げました。理系が得意だったことが役立ちました。今では専門スタッフにより、1物件当たり3000もの管理項目をデータ化してシステム上に蓄積しており、これが、当社の強みであり、武器となっているのです」

 −−もう少し、リノヴェーションについて具体的に教えてください。
「当社のリノヴェーションは、従来のような簡易なリフォーム(表面内装)に止まらず、物件の状況に応じて、間取りの変更に加え、給排水管等の目に見えない部分を含め老朽化・陳腐化した設備を刷新し、リノヴェイト(再生)して付加価値を高めて、『リノヴェックスマンション』として販売しています」

 −−御社の「リノヴェックスマンション」には、保証書がついてくるとのことですが。
「はい、業界内では非常に珍しいことですが、住居内の部位・設備ごとに最長10年の保証書をつけています。当社のアフターサービス保証制度は、内装工事の内容を部位別に明示した『内装工事説明書』と、その部位ごとに一定期間保証する『アフターサービス保証書』により構成されています。当社物件をお客様に安心して購入いただける体制作りに努めています」

 −−今後の業界の展望についてどうお考えですか。
「昨年、神奈川の人口が大阪を抜きましたね。不動産はこれから一層、首都圏一極集中時代を迎えます。また、日本もいよいよ、今の欧米にみられるような中古物件市場が活発になってくると思っています。当社のビジネスモデルは日本ではまだアーリーステージ段階です。福田さんは、日本にどのくらいのマンション戸数があると思いますか」

 −−はっきりした数字では答えることができませんが、大変な数(かず)だろうと思います。
「日本全国に535万戸のマンションのストックがあります。このうち、52%強に当る280万戸が、当社が主たる営業ターゲットとしている首都圏に集中しています。とくに、築後20年以上の物件は115万戸もありますから、われわれのマンション・リノヴェイトビジネスは大変有望です」

 −−現在、年間売上高約377億円(07年5月期予想)、ジャスダック上場ですが、先行き、このあたりの見通しといいますか、展望はいかがでしょうか。
「そうですね、時期は別としても年間売り上げ1000億円、東証1部上場が目標です」


聞き手=生活・経済ジャーナリスト・証券アナリスト補 福田貴子

(取材後記)
 取材を終えて社長室を後にする際、目に飛び込んできたのは、本棚に大切に置かれているお父さまから贈られたというあの哲学書の数々。
 壁には奥様が書かれたという"漢詩"の立派な書が掛けられ、もう一方の壁には社長いわく「友人が、『桜を見に行く時間もないだろう』といって贈ってくれたんですよ」という、柳桜の日本画が飾られていた。
 社長の大切にしている言葉は「勝っておごらず、負けて腐らず」
「淡々と、といった言葉の響きが特に好きですね」と語られた山本社長の横顔には鋭さの中にも溢れんばかりの愛からくる優しさを感じさせた。



提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 13:04 | 人・思い